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パラリンピックについて思うこと

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パラリンピック開会式 13歳の主役は「新しいスター」 IPC称賛 | オリンピック・パラリンピック | NHKニュース

パラリンピックが始まりました。

パラリンピック障がい者のスポーツという言われ方もしますが、私はこの言い方が好きではありません。

なぜならば彼らは、単に身体的にたまたま特異な性質をもっているだけあって、彼らは我々と同じ人間なのだから。いわゆる健常者との差はやがてテクノロジーが埋めて、彼らも我々と同じ条件で評価され、もっと社会の中で活躍できる日が必ずくるはずです。

 

障がい者のこと思うたびに、落合陽一氏の本で書いたあったことを思い出します。どの本かは忘れましたが、この中のどれかにあります。

ossan-kabu.hatenablog.com

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なにが書いてあったかというとメガネのことです。視力を例に挙げて、

目がいい人にとっては、目が悪い人は障がい者である。しかし、その差をテクノロジー(技術)であるメガネやコンタクトで補うことで、目がいい悪いに関わらず支障なく生活できている。

といった趣旨のことが書かれていたと思います。私はなるほどと思いその箇所に印を付けたのを覚えています。

 

では、足が動かない人は?手が片方しかない人は?目が見えない人は?

彼らは単に同じ道具を持っていないだけであり、彼らは障がい者でありません。我々と同じように社会で活躍できる能力を持っています。いや、苦労している分、我々一般人より間違いなく優秀なはず。

 

これが、近年よく言われるequityという概念だと私は考えています。我々が必要なのはequalityではなくequityであり、それを実現する、その差を埋めるのが私は技術だと確信しています。

公正さが会社をつくる - ハイキャリア

 

近い将来、技術の発達により必ず同じ土俵で同じ尺度で評価される日がくるでしょう。私は技術者の一人として、人々の生活をもっともっと豊かにするために、さらに努力しなければならないと改めて思った次第です。

 

技術の進歩が生身の人間を超える日も来るのではないでしょうか。例えば、義足の性能があまりに良すぎて速く走ったり、高く飛んだりできるかもしれませんね。少なくとも、生身の足を持つ私よりも、パラリンピック走り幅跳びの選手の方が遠くに飛べます。すると、障がい者の定義ってなんなのか?ということを改めて考えさせられます。

 

数年前、フランスの女の子がうちにホームステイに来ていたときに、彼女の言ったことが忘れられません。障がい者施設の方たちが、皆さんで車椅子に乗って街なかで散歩などをしているのは日本ではよく見る光景ですが、これはフランスでは絶対にないと言っていました(その子の話では)。まだ日本はマシな方なのかもしれません。

 

パラリンピックがequityな社会実現のために果たす役割は計り知れません。

この光景をなぜ日本の小中学生に見せないのでしょうか。マスコミの嘘しか信じない、または、数字の読めない高齢者・専業主婦層を中心とした情報弱者に負けて、観戦を辞退した各自治体の教育委員会は教育者を名乗る資格なし。やめてしまえ。